「七夕伝説」と「大島翡翠グラス」
美しいブルーが特徴の「大島翡翠グラス」。
その美しいブルーを発色させ、グラスの名前にもなっている、福岡県の島「大島」
「宗像・沖ノ島と関連遺産群」の一部を擁し「神守る島」とも呼ばれる大島。
実は大島は「七夕伝説」と深いかかわりがあるのです。
今日はそんな「大島」と「七夕伝説」についてご紹介します。
七夕伝説
七夕伝説のおこりは中国です。
主役の夫婦は日本では「織姫」「彦星」と呼ばれますが、
中国では「織女(しょくじょ)」「牽牛(けんぎゅう)」と呼ばれます。
この「織女」と「牽牛」の伝説が物語として語り継がれ、奈良時代ごろに日本に伝わった、といわれています。
それでは中国の七夕伝説、「織女牽牛伝説」を、簡単にご紹介しましょう。
中国の七夕伝説「牽牛と織女」
熱心に機織りの仕事に明け暮れる「織女」と、まじめで働き者の牛飼いの青年「牽牛(けんぎゅう)」。
二人はめでたく恋に落ち、結婚しました。
しかし結婚してしばらくすると、「牽牛」と「織女」は毎日遊んで暮らすようになり、怒った天帝は二人を天の川の両岸に引き離してしまいました。
引き離された二人は嘆き悲しみ、哀れにおもった天帝は「二人がまじめに働くなら」と年に1度、7月7日の夜にだけ会うことを許すと約束しました。
天の川を見上げて
「日本の七夕」
中国の「七夕伝説」が日本でどのように変わっていったのか。
その変化に「大島」が関わっているのではないかと言われています。
少しちがう?「中国の七夕伝説」と「日本の七夕」
このように「中国の七夕伝説」は「技術の向上を祈念する行事」の意味合いが強いものでした。
ですが「日本の七夕」はどちらかというと、「星空を見上げ、織姫と彦星が会うのを眺める行事」の印象が強くありませんか?
実は、日本の七夕独自の「出会いを祈る」イメージに関係しているのが「大島」なのです。
大島にある「牽牛神社」と「織女神社」
大島の中津宮には川をはさんで小さな神社が二つ祀られており、
その神社の名前が「牽牛神社」と「織女神社」。
さらに、二つの神社の間を流れる川は「天の川」と呼ばれています。
そして、鎌倉時代から、七夕の日を祝う「七夕祭り」が続いています。
「日本の七夕」と「大島」
この鎌倉時代から大島で続く七夕行事の中に、
「織女と離れ離れになった貴公子に、ある夜「「天の川」にタライを浮かべると水かがみに織女が映る」とのお告げがあり、それから貴公子は「天の川」のそばの神社に神仕えをした」
という言い伝えや
「江戸時代には、好い相手との出会いを望む男女がそれぞれの神社にこもり、タライに水を貼って男女の仲を占った」
という言い伝えが残っており、これらの大島の七夕にまつわる言い伝えが
日本の七夕独自の「出会いを祈る」といったイメージにつながっていったようです。
「大島」と「大島翡翠グラス」
日本独自の七夕のイメージに影響を与えたと思われる、「大島」の七夕行事。
そんな「七夕」と縁が深い大島。
その大島の砂を混ぜて焼き上げたのがこの「大島翡翠グラス」です。
美しい翡翠色のグラス
七夕伝説が脈々と受け継がれてきた神秘的な島、大島。
その砂を混ぜたガラスを焼き上げると、グラスがこのような美しいブルーに発色するのです。
職人が一つ一つ丁寧に作る、特別なグラス。
透明感のある美しい翡翠色は海のようにも、
そして、「天の川」のようにも感じられませんか?
七夕のおともに
大島翡翠グラス
七夕伝説が脈々と受け継がれてきた地、「大島」。 その砂が発色させる美しいブルーが「大島翡翠」の名前の由来。 職人が一つ一つ丁寧に作る、そのもの見た目も、飲み物を入れた時の表情も美しいグラスです。